希望が道を拓く

 パンドラの箱を開けたら沢山の幸せはどこかへ行ってしまい、最後に残ったのは希望だけだったという。この希望にははかなさがあり、結局希望だけで何も手に入らない失望が半分覗いています。

 親子関係を通じて最初に経験する信頼関係から生じてくるものは希望を持つ力だとエリクソンは考えました。人と人との信頼関係が厚いほど私たちは希望を持つことが出来ます。信頼のあるところで希望を持ち努力するとき何かが出てくるのではないでしょうか

 私はあなたを信頼しているから、私はあなたに希望を持ち、また、世界のあらゆることに希望を持つことが出来るのです。

 最近、ひどい殺人事件がマスコミで伝えられますが、殺人を犯す人は希望を持つ力がとても弱くなっているのではないでしょうか。希望が無いから、自分で何とかしようとしてことを起こしてしまうのでしょう。相手や周りの状況に希望を持つことが出来ないのだと思います。

 相談に見える方は人生に希望が持てなくなっています。

 希望を持つためには先ず信頼関係の醸成が必要だと思います。信頼関係はいっぺんにできるものではなく、お互い本音による真剣な誠実な話し合いから生れてくるのだと思います。

 相談に行って、1時間も話して1万円も払って、アドバイスも何もくれなかったという不満をよく聞きます。そういう場合、カウンセラーの方に問題があるかもしれませんが、アドバイスをもらって問題を解決しようとする姿勢の中に、ご自身の希望の持てなさが伺えます。カウンセラーに希望を与えてもらおうというわけです。そこには信頼関係がないから少々アドバイスを与えても何も足しにならないと思います。

 希望というのは問題を抱えている人自身が持たないと意味の無いものです。希望をもって努力していると道が拓かれてきます。「叩けよ、さらば開かれん」という聖書の言葉通りです。でも、扉が開いたときそこに展開している世界はもっと厳しいものかもしれないのです。私自身分析を受けて拓けた世界は以前考えた世界よりももっと厳しいものでした。

 ハナ・グリーンは『デボラの世界』で苦しかった精神病の世界を書いています。その後に『手のことば』を書きました。そこには、聴覚と視覚を失った両親を支えて生きる女の子の世界が書いてあります。『デボラの世界』の原題は、「私はバラの花園を約束したわけではない」というものでした。デボラが精神病の世界から抜け出して見た世界はバラの花園ではなく、視覚と聴覚を失って生きるような世界だったのです。それでも『手のことば』を読むと、その世界は病的な世界よりずっとましなことがわかります。バラの花園ではなく、茨の園ともいえるのですが、人間的なのです。茨の園を生きるための希望の力ができたとき病から治れるのではないでしょうか。

 私たちは希望を作り出すために信頼関係を深める努力をしているように思います。

以前、寛子先生が外国の空港でパスポートをなくしたとき、本当に困って必死になって解決を望んだと思います。自分ではどうにもならない状況で希望を持つしかない。ところがそのように困っている人を助ける人が出てきて、彼女は無事帰国することが出来ました。彼女の周囲の人々への信頼関係が他の人の信頼を呼び起こし、支えになっていたと思います。

 とても困っているけれども周りと関わり合いながら希望を捨てない、そういう作業をして道を開くことを私たちは相談室でしているとおもいます。

 

 信頼関係を作り希望を持つには、救い出すべき自分、人を信頼できる自分を作ることがとても大切です。救われて自分ができるのではなく、自分ができたら自分を救えるのではないでしょうか。心理相談は自分を作る作業をするところです。

 

 以上のことを書いて一晩寝たら、私たちのカウンセリングは儚い希望ばかりでやるのかという感じになりました。でも決してそうではありません。河合隼雄先生の心理療法の本質を探って行ったら希望に行き着いたのです。

 

 人はしっかりした希望を持つために如何に努力をしなければならないか、そのために全力を尽くさねばならないと先生は言われたのだと思います。儚い希望をしっかりした希望にするには全力を傾けなければならないのです。