悩み 心の世界が開ける

 死が怖くなったのは幼稚園の頃からだとある人が言った。心の中に怖いものが出てきたことは、心の世界が開け始めたことを意味する。それまでは、感覚と運動の機能レベルで生きてきている。見たものについて考え動く。それで一応の生活ができる。感覚と運動機能を有し、消化管としての有機体は食べ物を見つけ食べ消化し、生きている。人間の幼児はちょっと複雑で、食べるのに箸や器を使い、服を着たり脱いだり、トイレで排泄したりする。そこには怖いものは何もない。あるのは自分にとって良いものと悪いものだけである。

 そのような生活の中に、目に見えない怖いもの穢れたものが登場してくる。死の怖さもその一つである。物と心像が分離し、心像だけが想い描かれ、在るものとして行動が左右される。困ったという悩みもその一つである。そう考えると悩みの始まりは自分の心の世界が開けるときと考えて良いのではなかろうか。その悩みを考えていくことによって世界をより広く広げていくことができるのだ。

 ただ、困ったことに悩みが始まったときから、同じ悩みで堂々巡りをしている人がある。だから、いろいろな経験をしているのにその悩みが暗雲のように広がって一向に世界が開けてこない。

 悩みの渦から解放されるためには、悩みを客観的に見る自我の独立性が必要だが、その自我が悩みの渦に巻き込まれてしまっていて、自我の主体性が失われている。

悩みに振り回されない主体的な自我の成長を助けるには如何にしたら良いのか。

 遊びや夢の世界には悩みの渦はないことが多い。そう考えるとやはり我を忘れて遊ぶことが良いのではないか。そのためには箱庭療法が良いのではないかと思う。