内面を見るー教育分析

 河合先生がユング研究所からお帰りになって間もなく、先生に分析を受け始めた人がいるらしいことが何となくわかった。自分もまともなカウンセラーになるには分析を受けなければならないと思った。分析を受けると自分の内面が出るので、それを先生の前で見るのはとても苦しいことだと思った。しかし、現実は厳しく、私に夢が出てきた。それは明らかに警告夢であった。こんな夢を見たので分析をお願いしますと言うと、先生はわかって、少し待って下さいと言われたが、程なく分析は始まった。

 それから5年間分析が続いた。その結果、何がわかったかと言えば、現実の生活よりも夢のプロセスの方が本当らしいという感覚であった。夢を通して垣間見る心のプロセスが現実生活よりも本当らしいという感覚である。だから私は今も夢に頼り、箱庭を大切にしている。河合先生が亡くなられたからといって夢分析や箱庭療法をやめるわけは無い。私はずっと夢分析や箱庭療法を大切にしていくだろう。

 

 カウンセラーになるためには分析は必ず受けるものだと思っていた。それはフロイトもユングも教育分析を大切にし、河合先生もそれを実行してこられたからである。しかし、今教育分析を受けに来る人はほとんどいない。それは私の力が無く、また、ユング派の資格を持っていないせいでもあろう。でも、教育分析を受けるためにユング研究所のある京都まで通う人があるとは聞いていない。果たして教育分析は臨床心理士の必須科目となっているのであろうか。

 

 ユング研究所で指導を受けながら外来のクライエントの分析を担当しておられたとき、河合先生担当のクライエントが訳も無く中断した。これを契機に先生は担当している事例をすべて一時断り、自分の分析に専念された。そして当面していた問題を十分に検討されたのだろう。そのとき中断していた人が帰ってきて面接が再開されたと先生はどこかに書いておられる。不思議な体験である。

 

 私のスーパービジョンで、面接が一向に進展しない事例を報告されたことがある。クライエントが本当の内面をカウンセラーに開いていない。こういうときはカウンセラーが自分の内面を開く必要があるから、事例のスーパービジョンでなく、あなた自身の分析に切り替えませんかと提案したが受け入れられなかった。自分は到底自分のうちに抱えている問題を先生に打ち明ける訳には行きませんと断られてしまった。それではどこかでその問題に直面してくださいということになった。

 

 私にもそのようなことがあった。自分では問題と感じながら、回避してきた問題がいくつもあった。そのために私はずっと臨床心理士として十分な資格がないことは当然だと考えてきた。私の分析を受けた人の方がずっと立派な事例を発表しているではないか。私は遣り残した問題に本格的に取り組むためには15年後のチャンスを待たねばならなかった。

 次の先生は私に、「お前は去勢されているのではない。自分で自分を去勢している」と指摘され、私は新しい世界に開かれた思いであった。その先生は私が行くのを待ち受けていらっしゃったし、私も行った甲斐があったと思っている。それから15年新たに苦闘することになったが、内面と向き合った甲斐があって、今日私はかなり自由になった。そして、河合先生に自分の意見を言えるところまできていたのではなかったかと思う。先生が倒れられる一ヶ月前、名古屋でお会いする機会があった。先生はすばらしい笛の音を聞かせてくださり、とても元気であったが、疲れておられた。名古屋駅にお送りする車の中で、仕事を控えてくださいと言うべきであった。それだけは心残りである。

 

 分析を受けることは心を自由にし、活性化させる。その自由さと活性がクライエントに役立つのではなかろうか。

 先生は分析を終わるに当たって、半年ほどすると徐々に元気が出てきますとおっしゃった。不思議な言葉であったが、その通りになった。教育分析で仕込んだものはそう早くに役に立つものではない。徐々に効果が出てくるのである。私の場合、分析で仕込んだものが15年ほど私の生活を導くことになった。仕込んだものがもう切れてしまったとき、次の分析の機会があったので私は助かった。私は恵まれていたと思う。私はLAの先生に感謝しなければならないことが次第に明らかになってくる。心というものはこんなものらしい。

 今では、私は人の心をこじ開けて見ている感じがする。河合先生はそのようなことは決してなさらなかったけれど、自分はしている。明らかに違った道を歩んでいる。自分には先生のような待つ力が無いから仕方がないと思っている。それだけに、自分の内面をいろいろな機会に省みて、修正していく必要があるのではないかと思う。

 

 河合先生はこう言われた、「ある人がすばらしいと思えるとき、そういう可能性が心の中にあるということです」と。それを聞いて私の心の中に「その逆もまた真なり」という言葉が浮かんだ。話を聞きながら自分の内面を見る、そうして人に会っている。分析は自分の分析でもある。このためにスーパービジョンが私にも必要である。終わり無き分析である。

 

 

(檀渓心理相談室で仕事をするカウンセラーはすべて教育分析かスーパービジョンを受けるようになっています。それは相談をより専門的に、より効果的にするために行われるものです。当相談室でカウンセリングを受けられる方はそのことを了承してください。)