心を支えるもの イメージと遊び

 新年 明けましておめでとうございます

 昨年末は、HPを開けても新しいエッセイが無く期待を裏切り済みませんでした。歳をとったのか、大学の仕事が増えたのか、臨床心理学科専門課程の授業が増えてから忙しくなりました。はじめは、大学は週4日で済んでいたのです。それも2日は半日で済んだのですが、今は週5日毎日顔を出しています。このような日程は後1年続きます。けれども、報告書や決められたことに従う生活も後1年で終わります。

 仕事に生きている男性は、定年を迎えて仕事がなくなるとまもなく死にます。定年を前に死んでしまう人もありました。可哀想ですが仕方がありません。酒飲みで身体を壊して最後まで持たないのかもしれません。

 年賀状にこんなことを書いていいかどうかと断りながら、友達の死の知らせがありました。私もその方の関係で知っている人なのですが、仲良しの中でもっとも明るく元気に見えた方がなくなったのです。知らせはショックでした。彼女は周りの人に気を遣い、その疲労がたまって行ったのかも知れないと思いました。

 臨床心理学者の私はすぐになぜなくなったのかと考えます。師匠の河合先生は総合的に非因果的に考えるのかもしれませんが、私は先ず因果的に考えてみます。ですから、彼女の死は気遣いからきたのではないかと考えてみるのです。

 一般的に、長生きする人に画家や彫刻家を上げることができると思います。この人たちの共通点は高齢になると、自分のスタイルの絵、つまりイメージがあって、その決まったイメージの世界に生きているのです。そのイメージに生きて、イメージに包まれて他に惑わされることがないと、エネルギーを適度に使って長生きするのではないかと思います。

 長く「週刊新潮」の表紙を描いた画家谷内六郎さんは、若い頃電球を作る工場で働いていて、そこでぬり絵の線画を描いて一緒に働いている女工さんたちに上げていました。その絵の図柄は電球中に羽を広げた天使を描いたものでした。10代に描いた羽を広げた天使が中にいる電球のイメージが亡くなる少し前に書いた油絵の中に出てくるのです。しかも、それは船出の情景で、天使の電球が行く手を照らしているのです。

 私はこの絵を展覧会で見たとき、天使の電球のイメージが谷内六郎さんのいのちを若いときから死ぬまで支えていたのだと思いました。そして、画家はこのような自分のイメージの中で遊ぶことができると長生きするのではないかと思ったのです。個性的なイメージは繭のように自分を包み、エネルギーが尽き果てるまで自分を守ってあの世まで送り届けてくれるのではないかと思うようになりました。

 従って、人は個性的なイメージという乗り物に乗って生きているのではないかと考えるのです。心理学の理論もまた一つの個性的なイメージなので、タバコを愛用したフロイトやユングが長生きしたこともこれによって説明することができます。 

 高齢者の箱庭を見ると、普通の生活をして元気な人は実に豊かな箱庭を作ります。みんなあの世の極楽の情景です。しかし、病気をすると現実の生活に苦労をするためか、本来は極楽浄土益々極楽行きを願っていいのに、現実とあの世が密着したような世界を構成するのです。これらの作品をいくつか見るうちに、身体の病気をするとあの世の極楽のイメージまで崩れてしまうのだと考え始めました。病気をするとあの世を思い描く力も削がれてしまうのではないか、と思うと、あの世の豊かさも、この世の反映であると考えざるを得ません。

 私たちは身体の健康があってこそ、健全な精神を保つことができると、オリンピックの憲章か何かで教えられてきたように思います。健全なる精神は健全なる身体に宿ると。その考えに導かれて、健康医学ブームが起こっているように思います。

 しかし、立場を逆転すると、健全な精神である、自分の個性的なイメージを土台として、現在の生活があり、身体もそれなりに動いて行くのではないかと思うのです。スポーツ選手や役者がイメージトレーニングで立派な演技ができるように、しっかりした自分の個性的なイメージに則っていると健康な生活ができるのではないかと私は考えるようになりました。昨年末なくなった私の知り合いの方はもしかしたら、人にサービスするイメージばかりで、自分を守るイメージがなかったのではないかと思うのです。

 イメージは完全にパターン化したとき死んでしまいます。生きたイメージは同じようでありながら、次々に新しい側面を見せてくれます。自分のスタイルのイメージの中で遊び続けることができるとき、人は活き活きと、身体も健康にしていられるのではないでしょうか。

 スポーツも健康な身体作りに役立ちます。室内で自転車漕ぎをしただけで、身体が温まり、よく眠ることができます。スポーツジムに通えば、もっと理想的な健康な身体ができるでしょう。しかし、それは身体を温める運動とは違って、生きた身体による彫刻に似ていませんか。そういうことを80代まで続けてヒマラヤやアルプスに登る人もあります。それは身体作りプラス登山という別な遊びの目標があるので生きてくるのではないでしょうか。スポーツジムでの身体作りという健康法は身体彫刻にも等しく、それで長生きするのは難しいのではないかと思います。そう考えると、イメージに支えられた遊び心がとても大切だということがわかります。

 

 私はこのような発見の遊びを続けて生きたいと思います。しかし、この私の遊びの中にどれくらいしっかりしたイメージがあるのか、イメージがいきているのか、私には見えません。イメージが枯渇しないように視野を広げたいと思う年の始めです。

 

 

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