子どもの甘え、その問題と背景

子どもの甘えの受け入れとその難しさの背景

 最近の新聞で、子どもの抱っこの要求をどれくらい受け入れたら良いかということが話題として取り上げられていた。女性の回答者は、女性の立場、つまり、抱っこを要求される立場から、受け入れることも大切だが・・・という曖昧な態度であった。それに対して、抱っこを要求する子どもの立場に立った小児科の先生の答えは、子どもの抱っこの要求は十分に受け入れた方が良いう、はっきりした答えであった。まといつきたい要求には子ども時代しか答えてやれないのだから、やれるうちにやっておいた方が良いという考えである。抱っこは大きな身体を預けられる身体的な負担よりも、身体的接触を快く感じるか、わずらわしく感じるかの違いがある。これまでは身体的なふれあいは心地よいものだと考えられていたのだが、わずらわしいと感じる人もあって、その人たちがその気持を抑えないで言えるようになってきた。子どもの身体的なまつわりの要求に困っているお母さん方が実際に多いので、このような記事が組まれたのであろう。私たち教育相談に携わる者も、この問題の現実に当面させられている。

1 学校での問題
 そこで臨床心理士が相談されると思われる学校の問題を紹介しよう。
 ある子どもは家庭で厳しくしつけられ、母親の期待するように行動して良い子を演じている。その子が学校にきてやさしい先生に受け持たれると、途端に子どもらしく自由に振舞いはじめる。自分の椅子にじっと坐っていることができず、先生の話を聴くことも、ノートに書くこともできず、立ち歩いて他の子どもの物を取り上げたりする。少々叱っても押さえは利かない。
 母親はそんな羽目をはずした子どもの姿が想像できないこともある。厳しい母親は概して攻撃的だから、先生の指導が悪いのではないかと批判的な態度に出てくることもあるので、その対応にも気を使わねばならない。
 このように自分の椅子に坐っていることができず、厳しく叱ると教室から飛び出してしまう子どもがいるとそれに同調する子も出てくる。このような子どもが3、4人もになると、学級経営は困難になり、いわゆる学級崩壊の状態になる。
 最近は低学年でこのように落ち着きのない、自分の椅子に坐っておれず、学習も進まない子どもが全国レベルで増えてきたので、1,2年の低学年向けには補助教員が付くことがある。しかし、この落ち着きのなさは3、4年生時には高学年まで持ち越されることがある。3、4年生は元々活発で不安定な年齢であるが、その中で一段と落着き無い複数の子どもを担任一人で管理するのは難しい仕事である。従って、このような子どもが3人もいると大抵は学級崩壊になってしまうのが常である。しかし、低学年に加配された補助教員は高学年には回せないので、管理者も頭をいためることとなり、教頭先生などが応援しなければならないのが現状である。
 自分の椅子に坐っていられない子どもの指導は、いわゆる指導、叱責ではどうにもならない。担任教師が母親代わりになって、常に子どもを担任の傍にいさせ、時には身体にまとわりつかせていると、子どもが落着いて、授業が可能になることがある。私は先生の相談に乗るときは大抵このやり方で治めている。
 椅子にじっと坐っていることができない子どもたちは、家でいつも学習やお手伝いや片付けなどに追い立てられ、じっとしていることが許されない。母親に相手をしてもらおうとしても、言うことを聞きなさいと従わせられるだけであろう。子ども自身がしてもらいたいことや聞いてもらいたいことをしっかりと聞いてもらったことがないのではなかろうか。だから、教室では先生の注目をひきつけ、関心を持ってもらおうとして、先生に直接ではなく、傍にいる子にちょっかいを出したり、立ち歩いたり、叱られると教室から逃げ出したりする。そして、先生に掴まえてもらいたいのである。
 先生は常に子どもに目をむけ、話を聴き、時には抱っこしたりおんぶしたりしなければならない。まるで赤ん坊扱いである。しかし、それを本人もクラスの友達も当然のごとく受け入れるところが面白い点である。
 このようにして、丁寧に子どもに対応していると、大体1学期か、2学期の半ばには子どもが自分の椅子に落着くようになる。

2 愛着と自分の椅子
 椅子は安心の源であり、そこに坐るとこころが落着く。このことはとても単純なことであるが、重要なことである。母親の膝に安心して腰掛けているイメージ、それが自分の椅子に座ることに連なっている。
 母親の膝に安心して座り、世界を眺め回すその経験がないと、基本的な安定感も世界に対する視野も開けないのではなかろうか。
自分の椅子に愛着を感じられない子どもたちは、お母さん受け入れてもらうとか、べたべたと甘える経験が十分にできていないのではなかろうか。

3 愛着経験の不足原因帰属
 自分の椅子に安心して座っていることができないのは、母親に十分受け入れられていないからだと考えると、ここに母親責任説が出てくる。
 母親責任説が出てくるのは、この問題を母親と子ども二人だけで考えるからだ。しかし、親子関係は、二人だけの閉鎖的なものではなく、親の親、そのまた親とつながっている。そこに子育ての伝統がある。母親は自分が育てられたその経験に基づいて子育てをする。母親もまた親に育てられたようにしか、子どもを育てられない。後に述べるが、母親自身があまりスキンシップを経験しないで育っている。だから甘えさせることが下手であり、そうすると疲れるのだ。母親もまた子育てが上手くできないという被害者なのである。
 子どももそれぞれの個性をもって生まれていて、ある子どもは生まれたときから母親の手におえないような特質をもっていることもある。この子ははじめから好きになれませんでしたと母親が述懐することがある。母親との相性が悪いのである。このような関係は一概に母親に責任があるとは言えない。天の采配によって関係が上手く行きにくいということも認めたほうがいい。
 子どもがもしかしたらはじめからハンディを負った、病気の子どもかもしれない。子どもがアスペルガーとかADHDなどの診断を受けると、やはりあの子は病気だったのだ、だから私が上手く育てられるわけがないと、ホッとされる母親がある。愛着不足の原因は病気に帰属させられ、母親責任説は消える。しかし、それでも母親は病気の子どもを育てていかねばならないことに変わりはない。
 母親被害者説、天の采配説、子ども病気説、そらはどれか一つというのではなく、それぞれが重なって、問題がおこっていると考えたい。ただ、改善が難しいところに、何らかの改善の道を見つけていくことが私たち臨床心理士の仕事である。

4 育てられ方と育て方
 厳しい育て方、甘えさせない育て方しかしない母親は母親自身が幼い頃に甘えを経験していないことがほとんどである。母親に抱っこされたことが無いとか、べたべたした記憶が無いというお母さんたちが多い。そういう母親たちは子どもに甘えられることが嫌で、子どもの接触要求に身体を避けたくなるのだ。
 このようなお母さんたちがとても多くなっているのは何故か。女性の自立のためか。そうかもしれない。母親をするよりも、子どもから離れて働いていたという自立的な態度が、子どもに不寛容になるのではないか。
 女性の自立、男女同権で、女も仕事をし、男も子育てに参加すべきだという時代の声がある。このような時代精神を支えてきたものに、『スポック博士の育児書』がある。
 今のお母さんたちが育てられた時代に、今は忘れられているが、『スポック博士の育児書』が流行った。それは単に育児書として読まれただけでなく、母子手帳にも取り入れられ、育児の専門家の推奨する子育ての指針となったものである。その本では、子どもを甘やかして抱き癖をつけるのは良くないとされた。添い寝は良くない。乳離れを早くして母子分離を図った方が良いと考えられた。親と子の寝室は別にする、アメリカ流の子育てが導入された。その結果、抱擁する挨拶の習慣がない日本では、スキンシップがほとんどなくなるという結果になった。日本人はべたべたしすぎるという考えから、べたべたの甘えの礼賛から、甘えの否定へと傾いていった。それに拍車をかけたのは、土居健郎先生の『甘えの構造』であろう。日本人の特徴は甘えである。甘えはアメリカ人には理解されない、厄介なものであう。そして、甘えを捨て、自立へと時代精神は駆り立てられていったのではなかろうか。スポック博士も土居健郎先生も時代の流れに合っただけなのではなかろうか。
 こうして甘えさせない子育てが流行り、行き過ぎて、一部の人々は気づき、やはり昔ながらに夜は川の字になって寝るのが良く、ミルクよりも乳房との接触が大切であると小児科医が強調するようになった。けれども、自立を志向し、甘えを許さない態度は時代精神となって今も変わらない。しかし、スポック博士の考えが支配的だった当時は、子どもを抱かないで育てましたということが自慢の種になったこともあったことを心に留めておこう。
 このような甘えを控えた子育ての時代に育てられた人たちは、自分が愛着すること、つまり、スキンシップを経験していないので、子どものスキンシップの要求を満たすことができないのである。だから、子どもの愛着不足に関連して、私たちは母親も被害者として、優しく受け入れる必要がある。母親を責めることなく、自分が経験していないことをしなければならない、その困難さを思いやりながら、私たちが母親の代わりになって、親も子どもも援助していかなければならない時代になっている。時には、母親は人に頼ることを恥としていて、教師やカウンセラーも回避していることがあるので、そのときはこちらが保護者として頑張らなければならないときがある。
 そしてまた、カウンセラーである臨床心理士も母親への甘えの経験が不足していることがあることを忘れてはならない。スキンシップの不足した人たちが考えるアドバイスやカウンセリングも何かがかけていることがあるだろう。これもまた、大きな問題であるが、そういう時代を潜ってきたのだから避けられない問題である。
 私たち臨床心理士はスポック博士の育児書が引き起こした問題の後始末をしていると思うことがある。

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