葉書を整理していると、旅行の写真の下に「歳をとって益々GO!GO!」と書いてあるのが目についた。この人も幸せに人生を100%楽しんでいると思った。仕事に恵まれ、家族に恵まれ、良い人に囲まれて生きる幸せな人生である。
一方、少年Aも自分を100%生きようとしたので殺人を犯さざるを得なくなったのだ。14歳にして内面の深奥を見つめ、魔物と対決し、魔物に乗取られて殺人を犯し、犯行後はたましいが抜けてしなびた野菜のようになり、即座に死刑を求めたが聞き入れられなかった。彼は医療少年院に送られ、多くの人に助けられながら更生の道を歩み、遂には自分一人で生きようとして歩き始め、普通に生きるのが苦しくなり、『絶歌』を発表し、アマゾンでベストセラー第一位になるも非難轟々で、これからも地獄の道を歩むことになった。内面の真実を100%生きようとするとかくも困難な道になるのかと思った。
ユングもそうだった。はじめ先輩フロイトに認められ精神分析の世界で活躍が期待されていたが、自分の道を歩もうとして内面の自分との対決で一時精神病的な状態に陥った。その内面の苦闘から内向外向というタイプ論を作り上げ、自分の心理学で世に出てきた。
少年Aが尊敬する村上春樹はあるとき小説家として生きようと決意し、『風の歌に聞け』でデビューするが、次に『羊をめぐる冒険』という深い苦しみの難解な小説を書かねばならなかった。そして『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という作品を書いて自分の世界を確立した。
『羊をめぐる冒険』の前半には離人体験の記述が沢山出てくるので、村上春樹も離人症的な性格を基礎にしていると思う。離人症は感情的に希薄だから身を粉にして働いて仕事の面で成功しても満足しない。そこで内面の充実を求める。それが小説の世界だった。小説の世界でも内面の充実を求め、『羊をめぐる冒険』を書き、羊のたましいと出会うことができ、小説家として生きることができるようになった。羊とは、子羊の親、つまり神だ。子羊はユダヤ教では神への生贄であり、キリスト教ではキリストである。親羊、つまり神探しの冒険を村上春樹は小説の中で行い、感情の深奥にある聖なるものによって自分を支え始めたのである。
このような聖なるものとの出会いによって生きる100%の生き方がある。それは必ずしも楽な生き方ではなく、苦しいことが多いかもしれない。一方、友達と旅行し、美味しいものを食べて元気な100%充実した人生がある。前者は神と人の垂直の関係で生き、後者は人と人の横の関係で生きる生き方で、人には両方必要だが、どちらかに重点が置かれがちだ。
さて、みなさんの生き方はどちらに傾いていますか。
今は桃の季節で、熟した桃は100%美味しい。この美味しさは神の恵み、お友達と完熟の桃を食べてください。